5.4.2000

No.0042

『インフォームド・コンセント』について

 キリスト教のある宗派の団体は、医療行為を受けるにあたっては『輸血以外の方法の選択をすること』を信条とする他、『兵役の拒否』など独自の聖書の解釈を保ち、一般の世俗生活とは一線を引いた厳格な倫理規範の強調をしています。このなかの【輸血の拒否】についての理由は、聖書に基づいており、「魂である血を食べてはいけない」との記述があるということから、「体外に出た血を取り入れることはできない」との信念があるそうです。

 1992年に東大医科学研究所附属病院にて肝臓の悪性腫瘍を摘出する手術を受けることになった63才の女性が、手術前に輸血を拒否する意志を示し、「たとえどの様な結果になっても医師の責任は問わない」という免責証書を病院側に渡していたにもかかわらず、執刀医は‘万一必要とされる場合には輸血処置を行う’という病院の方針に則って、独自判断により輸血処置を行ってしまいました。手術は成功でしたが、患者の意志【輸血の拒否】を無視した形で手術が行われたことに対し不服を感じた患者本人は、医師及び医療機関に対し医事裁判をおこしました。結果は、最高裁に於いて“病院側の敗訴”=“患者側の勝訴”の確定が最近されました。

 《説明と同意》=《インフォームドコンセント》という言葉がしきりに一般医療の世界のみならず歯科医療の世界に於いても使われるようになって10年を越えます。治療方法の選択権が受療者(患者さん)側にあることが原則です。この原則に対し、医療を提供する側にいる者は十分認識しています。

 上記の最高裁の確定判決は、たとえ医師の良心に基づいて患者さんの為を思って行った行為であろうと、患者さんへの事前の説明のない行為は“違法行為”であり法的責任を問われるのだということなのです。たとえ命に関わろうとも・・・。

 今ひとつ釈然とできないのも事実ではありますが。

 以前、私の診療所でこんなことがありました。

 グラグラしている(歯牙の動揺がひどい状態:歯科での専門的表現)歯のある患者さんが来院しました。私の顔を見るなり真っ先にこう言いました。「実は、私は○○○教の信者です。教えによって、あえて歯を抜くことはできません。」しかし、私が診断したうえでは、“抜歯処置”以外には適切な方法が考えられませんでした。患者さん本人の意思は十分認識していましたが、私は一所懸命に抜歯処置の必要性を説明しました。しかし、残念ながら私の治療方針と患者さんの希望とは遂に合意はありませんでした。治療方法の合意が無いからといって、このまま診療放棄はできません。

 考えあぐねた結果、私は痛みを抑えるだけの為に麻酔(浸潤麻酔=注射麻酔)を施し、こう言いました。「痛みが麻痺しているうちにリンゴを食べてみて下さい。そうすれば、自然と歯がとれる(抜ける)かもしれませんよ。これならば、歯を抜いたことにはならないでしょ?。」と、その患者さんに言ってあげると、その方は少し安心されたようでした。その後のことは不明ですが、『便りのないのが良い便り』なんでしょう。ですが、私にとってこの一件は、正直言って消化しきれませんでした。

 今や医療提供者は、患者さんの意向にできる限り添えるような処置方法を探し、その必要性の意味を納得してもらえるように努めて説明することは、大切なことだと思っているのです。


荻野先生

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